忘備録

考えたことを書いて忘れる用の何か。

本を読む本 M.J.アドラー C.V.ドーレン 

メディアの話
2種類・・・「情報を得るため」と「理解を深めるため」
娯楽の読書に規則はいらない
本は読み手自身が問いに答えなくてはならない
点検読書とかの区分け

ここまでがっつりレベル分けとフォームの規定まで決めて話を分り易くしてる、テンプレート的だけど自由度は少ない。初歩だから当たり前か。日本語訳が綺麗。ものすごくかっちりしている。

関係ない話自炊するのに読んで「価値ある」と思ったら裁断して電子化。その上でまだいいと思ったらもう一冊買う。初期費用は?無駄っぽいか。

p88から徹底的に読んで受け取る側が考えるべき要素が存在するという発想が書かれてるのは感慨深いものがあった。こういう本は大体がアウトプットに傾いた話で埋め尽くされているものと思っていた分受け取るときの作法にまでめめを配ってる。
ついでに言うと自分はこのへんの区分けで言うところの分析読書第一段階で止まっているっぽい。この型通りにしていくのかどうかはともかく、もう少し読み進めたくもなる瞬間ではあった。




読んだ

J・モーティマー・アドラー,V・チャールズ・ドーレン
講談社
発売日:1997-10-09

非常に整然とした型を持っている本。野球で言うとスタンダードフォームとでも言うような教科書的な読書方法を示している、きれいではあるがこの状態にもっていくと言うよりは、自分なりのやり方を見い出していく途中に読んでなるべく沿うように近づけて行ってみるものか。もしかしたら最初にこれを読んでいるとこの通りに出来るのかもしれないが、少なくとも自分にはこの型の通りに話を進めていくほど精密かつ律儀な読書はできない。
また相当に名の知れた本であり細かい内容はいろんな場所で解説されている為割愛。
広範囲の読書についての話をしているが、注目したのは三章から先の「分析読書・心とピカル読書」という区分けの中で、どの書物に対してどういう読み方の段階とその次になるであろう段階を提示していくが当てはまるような感覚と説得性がある。おそらく自分はこの段階で止まっていると感じたし、受動的な読書を突き詰めた先に何が待っているのかと、そこから先に積極的な読書へと転換していく過程のようなものを示していたのは妙に可能性を感じた。純粋に読書を楽しんだだけというのと、このような積極性に転化していく末にはプロの読者?みたいな感じになっていくのかとか、それは理屈の多い批評家のようになっているんだろうかという妙な不安も覚えたが純粋に参考になる記述の多い本。