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忘備録

考えたことを書いて忘れる用の何か。

続く

 昨日の話の続きになるんだけど、根本的な所で自分は頭の中で考えうる範囲の狭さみたいなものが非常に気がかりで、そういう物を直すためにテキストを打ち込んで客觀的に見なおしてみようかな? とかある程度考えうる部分を広げてみようかな? とかしてみようとしたんだけれども、実際のところはこのブログで色々図が使えたりするツールなんかも使ってある程度見栄えがしやすいモノを作っていこうとした。けど、結果的にかかる作業時間とか慣れていない操作とかのせいでやる気がなくなってしまった。その内に文章だけで思いつくものは全部更新しておこうっていう判断になって現状のちょっと前になる。

最終的には「自分が見れる状態だけが存在していればいい」っていう発想から、非公開になってその内「PCから見れればいい」という風になった。

そこで思う事としては、結局自分が書いた文章を自分で見るための最適な環境を作ったのに、その場で適当に文章を作ってるだけで見直すこともないし、誤字の修正すらしていない。それなら特に文章作ることすらやる必要ないんじゃないだろうか? という着地点に達した。

これと並行して思えるのは、一個の物事に対して妙に小さい範囲でしか捉えられないし、その上時間がかかり過ぎるんじゃないかってこと、何故か自分の場合執着する物事のポイントは小さい。全体構造が100だとしたら20とかの構成要素であるパーツがどうとか言い始めて、そこに凝っているのかと思ったら全体に到着する前に飽きるのか力尽きるのかしてしまう。

興味の範囲が狭いっていうのは逆に言うとそのことについては大量の時間を割いても苦にならないって言うことになるんだけど、いざこういう場所に書くとなったり発表する場に対しての準備なんかも全然しない。

これって自分の負の面を見るのが単純に嫌だから逃げているのかもしれないけど、それにしてもどうも納得いかない。もしかしたら誤字脱字とかそういう物以前に文章の書き方とかスタイルを自分自身おかしいことを知らないでそのまま書き連ねていて、そこから読み取ることすら不可能になってしまっているんじゃないのかな? という事にしておく。大体が日々の日常を書いているだけで見返す価値もないものという認識だっていう可能性もあるけど、どうもそういう部分だけでなく、その時の気分が書いている文章に載っかってて、今見返すと「恥ずかしい」とか「痛々しい」のとも別な部分で読めない事が多すぎる。

 まあ、こういう話だけで埋め尽くすのもなんだか気が引けるので、どこかに置いとくとしたい。何と言うかテキストファイルの段階では打ち込んでいるだけである程度満足できる部分があるんだけど、それを目で見て「読む」段階になると、全く違う心持ちとか、頭の使う部分が違うからそこにある程度対応しなくちゃいけないっていう部分とも似てる。