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忘備録

考えたことを書いて忘れる用の何か。

ごちゃっと

 何となくの直感だが、大体は一日で五千字くらいが行けそうなラインになりそうな気がする。往々にして流動的だし気付いたら無くなっている数値目標だとは思うが大体がこのくらいの量を最低限文字にしておかないと危険な気がしてきた。

どうせ自分の外側の世界から観測可能というか見られる自分は、自然状態で備わった見た目は終わっているし、これまでの生活とかでついた姿勢とか性格にも真っ当な表現ができているとは到底思えないけれども、文章ならごまかしが逆に効く可能性というかそういう所と別角度かつくというか。

ただ単に今やってみたいだけっていうのが一番大きいんだけど。 んでも、結局「一筆書き」というか一気にガッと書かないと駄目だっていうのは分かった。恐らくやり方の問題だろうし、上手い人間の型にどういう傾向があるのはも知らないけど、自分は修正とか訂正を細かく加えながら長文を作ることは到底できなくて、その瞬間で勢いだけで書いた後にどうにかして見れる程度に文章を整えるっていうだけだ。それ以前に整っていないし、まともに校正とかすらした事ないんだけど。 それでもちょっと普段のmacデフォルトに付いてるテキストエディットから気分転換でpagesから文章を適当に見繕って風まかせに打ち込んだりしてて、ふとスタイルパネルから「アウトライン」で左側に記号をちょっと見えるようにしてみたら、意外としっくり来る。

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ついでに言うと今までの文字サイズより小さいし、一枚の紙としての大きさも小さいからある程度見やすさが違う。前回テキストエディットのデフォルト設定を組み替えた理由は、日本語だけ打てればいいっていうのと、下手に記号やそれ以外の小細工を使うほうが混乱するかな。とか思っていたんだけれども、こういう風に可視化出来ている方がいい時もあるんだなぁという感覚。で、例のごとく一時的なものだろうが。

 ドラクエはやらない、そもそもWii持っていないし。なんか9の段階で「ああ、こういうシステムなんだな」っていうのが一定の閾値まで達して此処から先はそこまで踏み込むよりは眺めている方がいいかと思っている段階だからだ。依然興味を引いてる状態であることには変わりないので、気がついたら買っていたという事には十分にあり得る。  ん〜、それでも具体的に数値が隣に常時表示されているのはどうかな? とも思う。意識するだけ無駄なことも往々にしてある。簡潔な表現でまとめることすら出来ない時に、文字数を意識するあまりにくだらない文章になってしまっているとしたら余計な弊害が発生しているだけという事にもなる。そんな事以前に改行数とかを意識するときってあるんだろうか? というかちゃんと書ける人はそういう文章的な「間」を取ること自体も出来るんだろうか? 自分が見るにはそこまであることって滅多になくって、世代的な所で断絶が度々あるくらいにしか感じないんだよな。なんのために書いた文章かによるんだと言われればそれだけではある。 ただ、正直な話こういうタイプの愚痴なのかどうかわからない文章で埋めるのもあんまり気が進まない。何でかというと量的に多いのにまともに学習もせずに浮いた文章だけで構成されているものなんて自分でも見返したくないシロモノだろうから。まあ、もう正直恥に浸ることを避けていくこともあんまりやりたくないし、散文的に情報を提示する方がいいのかもしれないとか密かに思っていたとしても、まともに使いこなせていない現実があるだけで好みの問題って事になっている可能性が高い。だったら単語単語のワードで拾える連想とかも、それなりにこなしていけば文章文章単位で繋げられるようになるかもしれない。暫くの間そっちに切り替えて見るというかきょう一日くらいの暇つぶしにしてみるのは悪くないだろう。それでも絶対にこのやり方は日常の愚痴に転じて、知りたくもないニュースとかに愚痴やツッコミを入れ続ける作業に今まではなり易かった。根本的に自分は否定することで完結する文章だったのが嫌だし、日常のニュースで肯定するタイプの出来事に対してはあんまり共感を示せるものが少なかったが故に題材とかを何だか自分の比較的にフラットなものに対して語れる題材を選んだ(多分ウソでその時に興味持てればいいんだけど)はずだった。

ま、いいや。  pagesは600キロバイト位取るんだよな。コレがちょっと気になる。テキストエディットだけなら10キロバイトとかいく事なんざそうそう無いんだし、そんなにSSDを圧迫することは無いだろうけど、正直1日に1つ以上ファイルが追加されると仮定して、半年持たない可能性があるとか……とか思ってたら、メガバイトと勘違いしてた。アホすぎる。それでもファイルの受け渡しとかに使えなさそうって思っちゃうのは何でなんだろうね。

齋藤孝「原稿用紙10枚を書く力」 どんな経緯だったか忘れたが、前にも一度読んだことがあった気がしたけど、いつだったか忘れてしまった。見返すといい時もあるかも、それでも図書館で借りると2週間しか期限がないのが惜しい。けどここで借りるほど適当な感覚で本を借りて言ったらあっという間に金がなくなる。 それにしても自己啓発系の本というのは割りにスカスカである。読みやすいといっておけばもっといい言葉だったはずなのにこんないい方はやめるべきだろう。 太字が大量にある本自体はそんなに好きではないが、意味的に同じ事の文章を繰り返すことと、それ以外の太字で強調することっていうものの使い所は勉強になる。 P54〜太字 当たり前だけどまとまっているって大事だね。 3色ボールペンのネタは知っていたが、書く側に回った時に赤=章・節、青・緑=小見出しだったのは新しい発見だったかも。 P176 太字 「空腹の技法」ポール・オースター

大体 何が言いたいかというと、ここで適当に書いていた文章・その他テキスト扱いを全部ごった煮にした後で、このブログかどっかに集約すればそれなりの量を維持したまま適度に積み込めるんじゃないかという甘い願望。 題材が移って行く時にどういう事をしていくか考えることも必要だが、まあ今の所見出しで区切るとする。 それから往々にして自分に必要なのはこれからも「削り取る」ことだと思う。もう少しそぎ落としてスリムに出来るとか勝手に思っている。それがなんなのかという主体的な存在がないというのに。 そう、ただ貪欲に自分のできることが可能な場を探していたとするならば、ある程度合致する気もする。というか逃げの場所としての機能が最初だったとしても、あるていどの変化をたどっていった結果としてこうなっている可能性は否定出来ない。 それに5000字とか、メールでやり取りしている人とか手紙を書いている人間、異常なまでに多い書類の手続きをこなしている人間から見ればカスみたいな数値かもしれない。まあ、何はともあれそれなりに書いていく場所の統一と改稿に対してのノウハウを仕入れたい意識が出てきたということでいいんじゃないだろうか。 まあ、あんまり気にしたことなかったが。自分が書いたテキストがwebページ上の時間で何分間の時間を食わせるかを想定すると、そこから逆算して書くテキストの量も確定できるのか。 打っている間に首は角度を変え、貧乏揺すりをしながら肘をついているという相当態度悪い人間になっているんだろうなとか、一回動画とってみると変わるかもしれない。 それでも余暇時間すら全て把握可能になったとしたらきっともっとどういう人間になるかを規定しやすい環境が出来上がると思う。  この時間(午前9時47分)にマックにいるって事は、確実に学校サボってるよね。自分もその度胸あれば良かったな。それにしても一人でやることというと小説を読むという相場は決まっているというのだろうか? もっとやれることは色々あるというのに。 要するにずっと座り続けていることに対しての違和感が自分の中で生じているんだから、それを払拭するために何時間か起きに移動しているんだと。だったらその移動費を捻出するのとスポーツは複合出来るだろうからやればいい。 一個の主張だけでなく、こういう感情的な文章で綴るだけでなら、5000字のくくりも必要ないけどね。このアウトラインで言う改行の横線が増えてきたということが目に見える証拠。 家に帰った後に集中できないのは、家に帰る前に大体の集中力的成分を使い果たしている可能性があることに今気づいた。だとしたら割と納得は行くかもしれない。

 

音楽

テイルズオブレジェンディアのサントラ

 

「すきだぜっ!!ファンタジー」

50ページくらい。指輪物語とか西洋ファンタジー風 あと、現代でガチガチの古典的男系社会のストーリーとかそういう構図で物語作ると反発あるのかなぁ。意外と新鮮な気もするんだけど、あんまり見ない気がする。これは結構いける、全体の物語の構図とか登場人物の成り立ちとかがなぞりやすく出てくるし。

 

・結論

結局3500文字くらいで、愚痴成分が多いからコレを続けるのは無理かもね。

後、改行とかがコピペだと反応しないんだね。太字とかの色つけはそれなりにやっていても辛くないけど、改行の場所を探すのは面倒かもな。タグ編集にすればこういう事は起こらないのか?